クスカワ『自然の書物を描く』第4章

6/15/2012
下野葉月(人文社会系研究科)

Picturing the Book of Nature by Sachiko Kusukawa
Chapter 4

 第四章は、出版物の統制(control)に関わる手段とそれが果たした役割について論じられる。特権(privilege)や検閲(censorship)が具体的な手段として紹介されるが、それらによって充分な統制をはかることは当時困難で、結局のところ個人による交渉や投資、監視に頼らざるを得なかった。著作のコピーが氾濫していた時代に繰り広げられた具体的な訴訟案件を通して、「自然を描く」という行為と表象された絵の独自性の間に横たわる興味深い議論も紹介される。また第二、三部で展開される議論の布石として、当時印刷された本において認められたテクストとイメージの乖離が指摘される。

■ 特権(privilege)
絵付きの本の作成には、版元、著者、画家、彫師、編集者など多くの人が関
わり、それなりの投資がなされていた。コピーされてしまうと、大きな損失が生じるため、商品(本)と利益を守るために、訴訟の際の根拠となる「特権」が求められるようになる。出版社は他の出版社が同じ著作を発行しないための防御策として特権を求めたのである。特権への申請は宮廷や国の高官が受け入れ、それが彼らの収入源となった。特権は関税の免除や独占権、違反者への罰金等を約束したが、それは特権を発行した者の管轄区においてのみ、そして指定の期間内のみ有効であった。そのため複数の行政区から特権が取り付けられた出版物もあるが、ただ特権の概要のみが表紙に記載されるケースもあった。特権は初版のテクストのみならず、翻訳や校訂版、地図や絵図、音譜等にも適用された。しかし、多くの出版社が乱立していた当時、特権の保障を強制する手だてが確立されていなかったため、特権の存在は、他の本の複写を防ぐ要因にはならなかった。

■ 自然の法廷
 植物に関する著作のコピーが、特権の侵害だとして訴えられたケース(Schott vs. Egenolff*1 とFuchs vs. Egenolff*2 )が紹介される。争点は、植物という自然界のものが表象される際、どれだけの独自性が認められるかという問題。自然の表象に関して相克する二つの姿勢は以下の通り。
1. 同じ種のものは同じ形状(form)をもつため、表象も同じ形状になってしまう。異なる人物によって描かれた同じ種のものが似るのは当然。
2. 同じ種のものでも形状(form)は異なり、個体差が認められる。つまり同じ種の植物であっても形状は多様化するのが必然。そのため、同じ種の植物の表象において、輪郭や構成が一致する場合、それは意図的なコピーだと看做される。
コピーの罪に問われた出版者Egenolffが採った姿勢は共通して1の方。彼の主張は以下のようなもの。
• 植物の絵が似通ってしまうのは当然であり、ローズマリー水仙もそれ自体以外のものに成り得ない
• 植物の絵に認められる類似を禁じることは、植物の表象自体を禁じることになってしまう
• 神によって形付けられた自然は、絵においても似てしまう。
• デュラーに与えられた特権は、彼が描いたのと同じテーマの絵(例:アダムとイブ)を描くことを禁じる効力をもたない。
→出版者も著者も、「特権」の効力が題材や自然という対象にもおよばないとの認識を持っていた。出版者のEgenolffは訴訟を起こされたからといって怯むことなく、他社が印刷した本から絵をコピーすることによって得られる利益を貪欲に求めていった。

 検閲
 検閲は予め印刷されるものを統制しようとする制度。活版印刷が発明される前から異端的とみなされる著作は禁じられてきたが、宗教改革に伴って検閲への関心は高まる。ルターを違法とするためにチャールズ五世が発令したEdict of Wormsには印刷に関する条項も含まれ、ルター派の書物の出版が禁じられた。異端思想を広めるものとして「絵」も含まれていた。トレント公会議の間にパウルス四世が異端審問委員会(Congregation of the Inquisition)を設置し、1554年に禁書目録(Index librorum prohibitorum)がまとめられる。プロテスタントの著者(Gessner, Fuchsなど)は大抵、目録の第一部に入れられていた。1588年に設置された目録委員会(Congregation of Index)は、信仰や道徳に害をもたらすと看做される本を探し目録を作成した。1596年に目録に加えられた指示書には、不適切な箇所の削除の仕方について説明が施されている。禁画目録(Index of Prohibited Images)というものが作成されそうになったが実現には至らず、図画の扱いはテクストと同様になされた。著者(楠川氏)が第二、三部で扱う、GessnerおよびFuchsの著作もカトリック圏の検閲に晒された。禁書扱いを撤回させる手だてはなかったが、だからと言ってカトリック圏で彼らの著作が流通しなかったというわけでもない。とりわけ自然に関する著作は、あまり積極的な検閲の対象とはならなかった。

 著者による統制?
 ここで著者(楠川氏)は当時出版された本におけるテクストと絵図の関係について論じる。ルターが「出来上がるのは印刷社が望むものであって、私の望むものではない」と嘆いたように、当時出版された本においては、テクストと絵図の間に乖離が認められた。例えば、コペルニクスのDe revolutionibusは、著者がテクストや絵図を統制する力を持っていなかったことを如実に表す―絵図は誤って切り取られ、題目は変えられ、Osianderによる新たな序文が挿入されることによって、コペルニクスの説はただの仮説として世に出回ることになってしまった。
 またもう一つの例として、Charles Estienne(c.1505-1564)による人の解剖に関する著作De dissection partium corporis humani libriが挙げられる。パリの医学生であったEstienneは手術を学んでいた学生Etienne de la Riviereに解剖図を描いてもらったが、後者が前者を剽窃の罪で訴え、手術に携わったEtienne de la Riviereも著者として認められるかどうかが争点となった。判決は議会に任され、手術師と医師が構成する委員会に判決が委ねられたが、最終的にEstienne(医者)のみが著者だと認められ、絵図を作成したEtienne(手術師)は残りの絵を前者に引き渡すよう通告される。結果として出来上がった本は、サイズのわりにはあまり解剖の様子が描かれていないもの(p95参照)として完結し、著者と画家の不協和音を示すに至っている。 
 こうした著者と画家の乖離を示す例は多くあるが、FuchsとVesaliusの場合は、絵図の作成にそれなりの投資をし、優れた画家を仕留めることができたため、絵も上手に仕上がり、絵とテクストの関連性も保たれた。本章では、後に著者が採り上げるFuchs, Vesalius, Gessnerをとりまく印刷の世界が概観された。第二、第三部では、彼らが採った方法(画家を雇い、協力関係におく)がテクストとイメージの連携を強化し、絵図制作への投資が彼らの学術的成果にも貢献したという論が展開される。

*1:ストラスブールの出版業者Schottが、フランクフルトの同業者Egenolffを盗用の罪で訴え、六年間複写を禁じるよう申し立てた。訴えの内容は、Egenolffが出版した植物の本Kreuterbuchに、Schottが出版したVivae eicones herbarum(by Brunfel)からの絵が盗用されているという内容。

*2:Egenolffが出版したDe material medicaに、FuchsによるDe historia stirpiumからの絵がコピーされているため、FuchsがEgenolffを剽窃の罪で訴えた。